1972年 (昭和47年/59歳) |
定年退職で40年にわたる教職生活を終える。
在職中の論文・実践記録を集大成し『東井義雄著作集』を発刊する。 特に別巻『培其根』は、八鹿小学校時代の教員に対する指導の記録を自らガリ版刷りにした異色作で、実践への強い姿勢を表わした名著として、今なお高く評価されている。 |
昭和50年代 |
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1973年 (昭和48年/60歳) |
退職後は本格的に講演行脚の生活に入り、北海道から九州まで、多い年にはその回数は300回を超えた。 | ||
1986年 (昭和62年/74歳) |
体の不調を訴えることが多くなり、検査の結果即刻入院。胃の三分の二を切除する。 | ||
『目がさめてみたら』 目がさめてみたら 生きていた 死なずに 生きていた 生きるための 一切の努力をなげすてて 眠りこけていたわたしであったのに 目がさめてみたら 生きていた 劫初以来 一度もなかった まっさらな朝のどまんなかに 生きていたいや 生かされていた |
東光寺の庭で |
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「東井義雄詩集」より | |||
1990年 (平成2年/77歳) |
NHKテレビの「心の時代」に出演し「仏の声を聞く」と題し全国に放送し、大きな反響を呼ぶ。 この時の放送内容が『仏の声を聞く』と題して出版される。これが事実上最後の著書となる。 |
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1991年 (平成3年) |
4月18日午前0時4分、豊岡病院にて逝去。 | ||
79歳の生涯を閉じる。 | |||
絶筆 |
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顕彰碑(東光寺近く) 「拝まない者も おがまれている 拝まないときも おがまれている」 |
略歴 | 少年期〜青年期 | いのちの教育に目覚める | 苦悩の時代 | 花開く都東井教育 | 仏の声を聞く |