「この日からどのようにして父の到り着いた世界に迫るかが、私の人生の課題となりました」と
自分にとっていかに父が偉大であったかを告白する。
1932年 (昭和7年/20歳) |
優秀な成績で師範学校を卒業し、豊岡市豊岡尋常高等小学校に着任。以来10年間在職する。 | |||
1935年 (昭和10年/23歳) |
理科学習での教え子の質問がきっかけで「ノドチンコ」の働きの神秘さに大きな衝撃を受け、 生きているつもりが生かされていることを発見する。 |
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1937年 (昭和12年/26歳) |
加藤富美代(城崎郡日高町生まれ)と結婚する。 | |||
結婚記念 |
妻 「何もしてあげることができなくてすみません」
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1937年 (昭和12年) |
日中戦争開始(~1945) | |||
1938年 (昭和13年/27歳) |
敬愛する父(義證)と死別。 |
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1941年 (昭和16年/30歳) |
父との死別に前後して愛児の大病に遭遇し、いのちのただごとでなさに気づく。 また、わが子のいのちを通して、受け持ちの子ども60人のいのちのただごとでなさに気づく。 |
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真珠湾攻撃/太平洋戦争(~1945) |
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